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2013年06月20日
FDR史 第2章 「不二洞ロック」誕生
200X年、上野村で生まれ育った若者「I」が、山村生活を希望して来村した若者「T」と出会う。
上野村は当時、揚水式発電所「神流川水力発電所」建設工事が最盛期を迎え、村内の宿舎には工事関係者数千人が滞在していたと言われている。
[揚水式発電所の下部ダム(上野ダム)]
村内の商店では、生活用品が飛ぶように売れ、特に酒類や石油類は過去最高の売上高を記録したらしい。
いわゆる「東電バブル」と呼ばれていた時期であったが、平成初期に日本のバブル崩壊を経験しているだけに、村内では、発電所工事による収入に依存しない、次世代を見据えた「観光立村」を推進しつつあった。
そんな中、この2人の若者は「観光と音楽の融合」という、上野村では新しい分野の開拓を始め、過去のカラオケブーム時代に使用されていた音響機器などを倉庫から掘り起こし、寄せ集めの資機材による音楽活動が始まった。
その夏、若者2人は、不二洞周辺の野外フェスを企て、軽トラックの荷台にスピーカーキャビネットやPAなどを積み込み、「川和自然公園」駐車場を会場とし、村民や行楽客を含む、山々のすべての「いきもの」に向けたDJスタイルの野外ライヴ「不二洞ロック」が誕生した。
[不二洞ロック 1st]
しかし、発電所バブルに沸いた上野村において、この新しい試みによる観光ピーアールは、「やっても無駄」「うるさい」などと一部の者から批判を受け、公演途中で中止になるなど、観光立村に向けた地道な音楽活動は受け入れられず、「不二洞ロック」は衰退の一途を辿っていった。
[不二洞ロック発祥の川和自然公園とスカイブリッジ]
上野村は当時、揚水式発電所「神流川水力発電所」建設工事が最盛期を迎え、村内の宿舎には工事関係者数千人が滞在していたと言われている。
[揚水式発電所の下部ダム(上野ダム)]
村内の商店では、生活用品が飛ぶように売れ、特に酒類や石油類は過去最高の売上高を記録したらしい。
いわゆる「東電バブル」と呼ばれていた時期であったが、平成初期に日本のバブル崩壊を経験しているだけに、村内では、発電所工事による収入に依存しない、次世代を見据えた「観光立村」を推進しつつあった。
そんな中、この2人の若者は「観光と音楽の融合」という、上野村では新しい分野の開拓を始め、過去のカラオケブーム時代に使用されていた音響機器などを倉庫から掘り起こし、寄せ集めの資機材による音楽活動が始まった。
その夏、若者2人は、不二洞周辺の野外フェスを企て、軽トラックの荷台にスピーカーキャビネットやPAなどを積み込み、「川和自然公園」駐車場を会場とし、村民や行楽客を含む、山々のすべての「いきもの」に向けたDJスタイルの野外ライヴ「不二洞ロック」が誕生した。
[不二洞ロック 1st]
しかし、発電所バブルに沸いた上野村において、この新しい試みによる観光ピーアールは、「やっても無駄」「うるさい」などと一部の者から批判を受け、公演途中で中止になるなど、観光立村に向けた地道な音楽活動は受け入れられず、「不二洞ロック」は衰退の一途を辿っていった。
[不二洞ロック発祥の川和自然公園とスカイブリッジ]
Posted by Fuji-Do Rock Fes. 2013 at 13:56│Comments(0)
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