Fuji-Do Rock Festival
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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2013年07月14日
Fuji-Do Rock Fes.延期のお知らせ
2013年7月21日(日)
群馬県上野村
野栗キャンプ場で開催予定でした
「Fuji-Do Rock Festival」
開催延期となりました。
ご了承ください。
群馬県上野村
野栗キャンプ場で開催予定でした
「Fuji-Do Rock Festival」
開催延期となりました。
ご了承ください。
2013年07月11日
アクセス お車の方
お車でご来場の方へ。
上野村へは、
従来からの
旧鬼石町・旧万場町~国道462号線
ルートもありますが、
時間的には、
アクセスで紹介した
上信越自動車道
下仁田ICを降りて、
国道254号線・県道45号線
ルートの方が便利かと思います。
埼玉県・群馬県藤岡市方面からのアクセス。
国道462号線。
旧鬼石町を
ひたすら上ってください。
その途中の観光スポット
☆道の駅おにし
☆下久保ダム
☆道の駅万場
☆中里恐竜センター
あります。
上野村へは、
従来からの
旧鬼石町・旧万場町~国道462号線
ルートもありますが、
時間的には、
アクセスで紹介した
上信越自動車道
下仁田ICを降りて、
国道254号線・県道45号線
ルートの方が便利かと思います。
埼玉県・群馬県藤岡市方面からのアクセス。
国道462号線。
旧鬼石町を
ひたすら上ってください。
その途中の観光スポット
☆道の駅おにし
☆下久保ダム
☆道の駅万場
☆中里恐竜センター
あります。
2013年07月09日
野栗キャンプ場周辺
Fuji-Do Rock Festival
野栗キャンプ場周辺
紹介。
駐車場
完備。
このほか、
周辺にも
駐車場あります。
キャンプ場下
野栗沢川。
流れもゆるいので、
水辺の遊び
楽しめます。
しかも!
川の水、
こんなにきれい!
キャンプ場の奥へ、
徒歩1分。
竜神の滝
自然が創り出した
2段の滝。
絶景です。
竜神の滝まで
遊歩道完備。
野栗キャンプ場周辺
紹介。
駐車場
完備。
このほか、
周辺にも
駐車場あります。
キャンプ場下
野栗沢川。
流れもゆるいので、
水辺の遊び
楽しめます。
しかも!
川の水、
こんなにきれい!
キャンプ場の奥へ、
徒歩1分。
竜神の滝
自然が創り出した
2段の滝。
絶景です。
竜神の滝まで
遊歩道完備。
2013年07月08日
2013年06月27日
過去フェス Fuji-Do2012 出演アーティスト
過去フェス
2012年開催。
Fuji-Do Rock Festival 2012
出演アーティスト
♪ 男と女2 ♪
♪ 山本タカヒロ ♪
♪ colly ♪
♪ 黒澤美穂 ♪
♪ リズミカルガス ♪
♪ Dreadの音 ♪
♪ y’O ceans ♪
2012年開催。
Fuji-Do Rock Festival 2012
出演アーティスト
♪ 男と女2 ♪
♪ 山本タカヒロ ♪
♪ colly ♪
♪ 黒澤美穂 ♪
♪ リズミカルガス ♪
♪ Dreadの音 ♪
♪ y’O ceans ♪
2013年06月27日
過去フェス Fuji-Do2011 出演アーティスト
過去フェス
2011年開催。
Fuji-Do Rock Festival 2011
出演アーティスト
♪ 山本タカヒロ ♪
♪ A.B.O ♪
♪ わたぼうし ♪
♪ WILDHUNTER ♪
♪ breath of Minority ♪
♪ colly ♪
♪ リズミカルガス ♪
♪ 叡山風鈴223 ♪
♪ ジュリーフジヲ ♪
♪ y’O ceans ♪
♪ ハイカラクロニクル ザ.ガンジーズ
2011年開催。
Fuji-Do Rock Festival 2011
出演アーティスト
♪ 山本タカヒロ ♪
♪ A.B.O ♪
♪ わたぼうし ♪
♪ WILDHUNTER ♪
♪ breath of Minority ♪
♪ colly ♪
♪ リズミカルガス ♪
♪ 叡山風鈴223 ♪
♪ ジュリーフジヲ ♪
♪ y’O ceans ♪
♪ ハイカラクロニクル ザ.ガンジーズ
2013年06月27日
過去フェス Fuji-Do2010 出演アーティスト
過去フェス
2010年開催。
Fuji-Do Rock Festival 2010
出演アーティスト
♪ Cesal 3 ♪
♪ 佐野将海 ♪
♪ まっつん ♪
♪ 上原美穂 ♪
♪ 叡山風鈴 ♪
♪ 特設分団 ♪
♪ KING BEE ♪
♪ ディキシー ダウンビーツ ♪
♪ WILDHINTER ♪
♪ Dreadの音 ♪
♪ y’Oceans ♪
♪ Yamamoto BAND ♪
2010年開催。
Fuji-Do Rock Festival 2010
出演アーティスト
♪ Cesal 3 ♪
♪ 佐野将海 ♪
♪ まっつん ♪
♪ 上原美穂 ♪
♪ 叡山風鈴 ♪
♪ 特設分団 ♪
♪ KING BEE ♪
♪ ディキシー ダウンビーツ ♪
♪ WILDHINTER ♪
♪ Dreadの音 ♪
♪ y’Oceans ♪
♪ Yamamoto BAND ♪
2013年06月26日
過去フェス Fuji-Do2009 出演アーティスト
過去フェス
2009年開催。
Fuji-Do Rock Festival 2009
出演アーティスト
♪ 特設分団 ♪
♪ 上原美穂 ♪
♪ まっつん ♪
♪ 佐野将海 ♪
♪ DJ TAMA ♪
♪ BAT FORCE ♪
♪ DJ p.t.r. ♪
♪ HITφYASUMI ♪
♪ Merlboro MANTHOL ♪
2009年開催。
Fuji-Do Rock Festival 2009
出演アーティスト
♪ 特設分団 ♪
♪ 上原美穂 ♪
♪ まっつん ♪
♪ 佐野将海 ♪
♪ DJ TAMA ♪
♪ BAT FORCE ♪
♪ DJ p.t.r. ♪
♪ HITφYASUMI ♪
♪ Merlboro MANTHOL ♪
2013年06月23日
野栗キャンプ場のアクセス
Fuji-Do Rock Festival
公演会場
Noguri Camp Area
野栗キャンプ場
(竜神の滝)
上野村へのアクセス
お車でお越しの方。
上野村
(湯ノ沢トンネル・南牧村側)
入って、
村内の幹線道路「国道299号線」
新羽地区に入り、
欧風建物のホテル
「国民宿舎ヴィラせせらぎ」
をめざして下さい。
ヴイラの東側、
神流川対岸の道に入って進むと、
野栗食品の前
案内板があります。
この先、
野栗キャンプ場です。
電車&バスでお越しの方。
JR新町駅又は藤岡駅で下車の場合。
日本中央バス奥多野線
「上野村ふれあい館」行きに乗車してください。
上野村に入って、
「八幡」バス停下車。
そこから、野栗沢川(細い方の川・大きい川は神流川なので注意)
に沿った道を南へ進むと、
野栗キャンプ場です。
バス停から徒歩20分くらいかかりますので、
事前にご連絡いただければ送迎します。
下仁田駅で下車の場合。
上野村営 乗合タクシー
ご利用下さい。
上野村ふれあい館が終点になっていますが、
村内集落を循環する便のありますので、
運転手に「野栗地区まで」
と申し出てください。
野栗地区からは、
野栗食品前の案内板
参考にしてください。
公演会場
Noguri Camp Area
野栗キャンプ場
(竜神の滝)
上野村へのアクセス
お車でお越しの方。
上野村
(湯ノ沢トンネル・南牧村側)
入って、
村内の幹線道路「国道299号線」
新羽地区に入り、
欧風建物のホテル
「国民宿舎ヴィラせせらぎ」
をめざして下さい。
ヴイラの東側、
神流川対岸の道に入って進むと、
野栗食品の前
案内板があります。
この先、
野栗キャンプ場です。
電車&バスでお越しの方。
JR新町駅又は藤岡駅で下車の場合。
日本中央バス奥多野線
「上野村ふれあい館」行きに乗車してください。
上野村に入って、
「八幡」バス停下車。
そこから、野栗沢川(細い方の川・大きい川は神流川なので注意)
に沿った道を南へ進むと、
野栗キャンプ場です。
バス停から徒歩20分くらいかかりますので、
事前にご連絡いただければ送迎します。
下仁田駅で下車の場合。
上野村営 乗合タクシー
ご利用下さい。
上野村ふれあい館が終点になっていますが、
村内集落を循環する便のありますので、
運転手に「野栗地区まで」
と申し出てください。
野栗地区からは、
野栗食品前の案内板
参考にしてください。
2013年06月20日
FDR史 第1章 関東一の規模を誇る鍾乳洞「不二洞」
約1200年前。
上野村の大福寿山は原生林が密生し、さまざまな獣が住み、猿撃場という断崖を多くの野猿が餌場や遊び場としていた。
山中へ入った村人が、ある日、猿たちが集まり騒いでいるのを不思議に思い、近寄って見ると、そこには小さな穴があいていた。
その穴を猿が取り巻いていたことから庚申の穴と呼ぶようになり、鍾乳洞が発見された。
それから数百年、洞窟を探索した者もいたが、洞内はあまりにも大きく複雑であったため、成功した者はいなかったと言われている。
そして約400年前、中興開山上人の僧が初めて最奥部まで足を踏み入れ、この洞窟を世に広め、二つとない複雑な鍾乳洞から「不二洞」の名が付いたと言われている。
洞内の総延長は約2200メートル、関東一の規模を誇る「不二洞」は、大石柱のそそり立つ大殿堂や、やっとくぐりぬけるような小さな支洞が無数にあり、光に照らし出される奇観をくぐり抜ける、上野村の観光名所である。
[不二洞]
上野村の大福寿山は原生林が密生し、さまざまな獣が住み、猿撃場という断崖を多くの野猿が餌場や遊び場としていた。
山中へ入った村人が、ある日、猿たちが集まり騒いでいるのを不思議に思い、近寄って見ると、そこには小さな穴があいていた。
その穴を猿が取り巻いていたことから庚申の穴と呼ぶようになり、鍾乳洞が発見された。
それから数百年、洞窟を探索した者もいたが、洞内はあまりにも大きく複雑であったため、成功した者はいなかったと言われている。
そして約400年前、中興開山上人の僧が初めて最奥部まで足を踏み入れ、この洞窟を世に広め、二つとない複雑な鍾乳洞から「不二洞」の名が付いたと言われている。
洞内の総延長は約2200メートル、関東一の規模を誇る「不二洞」は、大石柱のそそり立つ大殿堂や、やっとくぐりぬけるような小さな支洞が無数にあり、光に照らし出される奇観をくぐり抜ける、上野村の観光名所である。
[不二洞]
2013年06月20日
FDR史 第2章 「不二洞ロック」誕生
200X年、上野村で生まれ育った若者「I」が、山村生活を希望して来村した若者「T」と出会う。
上野村は当時、揚水式発電所「神流川水力発電所」建設工事が最盛期を迎え、村内の宿舎には工事関係者数千人が滞在していたと言われている。
[揚水式発電所の下部ダム(上野ダム)]
村内の商店では、生活用品が飛ぶように売れ、特に酒類や石油類は過去最高の売上高を記録したらしい。
いわゆる「東電バブル」と呼ばれていた時期であったが、平成初期に日本のバブル崩壊を経験しているだけに、村内では、発電所工事による収入に依存しない、次世代を見据えた「観光立村」を推進しつつあった。
そんな中、この2人の若者は「観光と音楽の融合」という、上野村では新しい分野の開拓を始め、過去のカラオケブーム時代に使用されていた音響機器などを倉庫から掘り起こし、寄せ集めの資機材による音楽活動が始まった。
その夏、若者2人は、不二洞周辺の野外フェスを企て、軽トラックの荷台にスピーカーキャビネットやPAなどを積み込み、「川和自然公園」駐車場を会場とし、村民や行楽客を含む、山々のすべての「いきもの」に向けたDJスタイルの野外ライヴ「不二洞ロック」が誕生した。
[不二洞ロック 1st]
しかし、発電所バブルに沸いた上野村において、この新しい試みによる観光ピーアールは、「やっても無駄」「うるさい」などと一部の者から批判を受け、公演途中で中止になるなど、観光立村に向けた地道な音楽活動は受け入れられず、「不二洞ロック」は衰退の一途を辿っていった。
[不二洞ロック発祥の川和自然公園とスカイブリッジ]
上野村は当時、揚水式発電所「神流川水力発電所」建設工事が最盛期を迎え、村内の宿舎には工事関係者数千人が滞在していたと言われている。
[揚水式発電所の下部ダム(上野ダム)]
村内の商店では、生活用品が飛ぶように売れ、特に酒類や石油類は過去最高の売上高を記録したらしい。
いわゆる「東電バブル」と呼ばれていた時期であったが、平成初期に日本のバブル崩壊を経験しているだけに、村内では、発電所工事による収入に依存しない、次世代を見据えた「観光立村」を推進しつつあった。
そんな中、この2人の若者は「観光と音楽の融合」という、上野村では新しい分野の開拓を始め、過去のカラオケブーム時代に使用されていた音響機器などを倉庫から掘り起こし、寄せ集めの資機材による音楽活動が始まった。
その夏、若者2人は、不二洞周辺の野外フェスを企て、軽トラックの荷台にスピーカーキャビネットやPAなどを積み込み、「川和自然公園」駐車場を会場とし、村民や行楽客を含む、山々のすべての「いきもの」に向けたDJスタイルの野外ライヴ「不二洞ロック」が誕生した。
[不二洞ロック 1st]
しかし、発電所バブルに沸いた上野村において、この新しい試みによる観光ピーアールは、「やっても無駄」「うるさい」などと一部の者から批判を受け、公演途中で中止になるなど、観光立村に向けた地道な音楽活動は受け入れられず、「不二洞ロック」は衰退の一途を辿っていった。
[不二洞ロック発祥の川和自然公園とスカイブリッジ]
2013年06月20日
FDR史 第3章 上野ミュージックサークル結成
上野村は、群馬県の最南西に位置する山間地帯であり、都市部のような娯楽もないため、地元住民による伝統芸能が盛んに行われ、各集落の神社祭典では獅子舞や神楽の奉納され、また、神社祭典余興や敬老行事として芝居や舞踊などの公演が現代でも行われている。
[乙父神社祭典余興]
[勝山神社祭典余興・新マルマ座公演]
[かじか座9月特別公演]
この歴史ある伝統芸能が現在も続いているのは、住民の存続努力ほか、山村生活に憧れて来村した若者が地域の一員として参加していることなどであり、そんな若者を快く歓迎する地元住民の気質の良さが多くを占めるところである。
[舞台準備や芝居指導を受ける若者]
揚水式発電所も完成に近づき、工事関係者が次々に減少、村のバブルも崩壊しつつある状況となり、村にとって大きな打撃であったが、「山村で仕事がしたい」という志を持った若者は増加傾向にあり、行政の受け入れも整備されたことなどから、上野村に転入する若者は増えつつあった。
芝居や舞踊に参加する者のほか、音楽経験者や音楽に興味を持つ者も意外に多く、仕事や行事などを通じて、すぐに顔見知りとなる村内では、生業の傍らとして、「音楽をやらないか」という集まりが始まった。
過去にバンドやライブ活動をやっていた者、楽器や歌をやってみたいという者は多く、音楽の話題で盛り上がる集会は、回数を重ねるごとに、参加者も増えていった。
[音楽仲間による飲食店の集会]
上野村は、コンサートホールや音楽集会場がなく、音楽仲間の集会は、自宅や職場、飲食店など、その都度決めて集まるという不特定な状況であったため、活動の拠点となる施設を探していたところ、不二洞案内所隣にある空き店舗の元飲食店建物を借り受けることになり、音楽仲間の集まりは、「上野ミュージックサークル」(以下「U.M.C.」)として活動することとなった。
借り受けた建物は、空き店舗になって十数年が経過しており、約1ヶ月かけて、休日や夜間にサークルメンバーによって補修清掃され、リフォームした元店舗は、音楽スタジオ兼ミーティング場として生まれ変わり、「U.M.C.スタジオ」と命名された。
[初代U.M.C.スタジオ]
スタジオ完成でU.M.C.はさらに活発化し、アーティストやバンドたちは頻繁にスタジオ入りして深夜まで練習に励んだ。
[練習に励むメンバー]
[乙父神社祭典余興]
[勝山神社祭典余興・新マルマ座公演]
[かじか座9月特別公演]
この歴史ある伝統芸能が現在も続いているのは、住民の存続努力ほか、山村生活に憧れて来村した若者が地域の一員として参加していることなどであり、そんな若者を快く歓迎する地元住民の気質の良さが多くを占めるところである。
[舞台準備や芝居指導を受ける若者]
揚水式発電所も完成に近づき、工事関係者が次々に減少、村のバブルも崩壊しつつある状況となり、村にとって大きな打撃であったが、「山村で仕事がしたい」という志を持った若者は増加傾向にあり、行政の受け入れも整備されたことなどから、上野村に転入する若者は増えつつあった。
芝居や舞踊に参加する者のほか、音楽経験者や音楽に興味を持つ者も意外に多く、仕事や行事などを通じて、すぐに顔見知りとなる村内では、生業の傍らとして、「音楽をやらないか」という集まりが始まった。
過去にバンドやライブ活動をやっていた者、楽器や歌をやってみたいという者は多く、音楽の話題で盛り上がる集会は、回数を重ねるごとに、参加者も増えていった。
[音楽仲間による飲食店の集会]
上野村は、コンサートホールや音楽集会場がなく、音楽仲間の集会は、自宅や職場、飲食店など、その都度決めて集まるという不特定な状況であったため、活動の拠点となる施設を探していたところ、不二洞案内所隣にある空き店舗の元飲食店建物を借り受けることになり、音楽仲間の集まりは、「上野ミュージックサークル」(以下「U.M.C.」)として活動することとなった。
借り受けた建物は、空き店舗になって十数年が経過しており、約1ヶ月かけて、休日や夜間にサークルメンバーによって補修清掃され、リフォームした元店舗は、音楽スタジオ兼ミーティング場として生まれ変わり、「U.M.C.スタジオ」と命名された。
[初代U.M.C.スタジオ]
スタジオ完成でU.M.C.はさらに活発化し、アーティストやバンドたちは頻繁にスタジオ入りして深夜まで練習に励んだ。
[練習に励むメンバー]
2013年06月20日
FDR史 第4章 「Fuji-Do Rock Fes.誕生」
サークル活動も軌道に乗り始めたこの時期、サークルメンバーから、開催休止状態にあった「不二洞ロック」を復活させようという声が上がった。
「不二洞ロック」は、「Fuji-Do Rock Festival」としてスケールアップすることになり、実行委員会が結成され、2009年7月、活動拠点の「U.M.C.スタジオ」にステージや観覧席を設置するなどの改装を施し、「Fuji-Do RockFestival 2009」を開催、U.M.C.アーティストのほか、県内外で活躍するアマチュアアーティストも参加したロックフェスとなり、来場者のほか、不二洞の観光に訪れた方々から絶賛を受けるなど、大盛況であった。
[Fuji-Do Rock Festival 2009]
「ロック不毛の地」であった山間部の小さな村で開催されたロックフェスは、県内でも話題となり、新聞記事として掲載されるなど、U.M.C.は観光立村を担う立場になりつつあった。
[新聞記事]
[グラフ群馬の取材と記事]
「不二洞ロック」は、「Fuji-Do Rock Festival」としてスケールアップすることになり、実行委員会が結成され、2009年7月、活動拠点の「U.M.C.スタジオ」にステージや観覧席を設置するなどの改装を施し、「Fuji-Do RockFestival 2009」を開催、U.M.C.アーティストのほか、県内外で活躍するアマチュアアーティストも参加したロックフェスとなり、来場者のほか、不二洞の観光に訪れた方々から絶賛を受けるなど、大盛況であった。
[Fuji-Do Rock Festival 2009]
「ロック不毛の地」であった山間部の小さな村で開催されたロックフェスは、県内でも話題となり、新聞記事として掲載されるなど、U.M.C.は観光立村を担う立場になりつつあった。
[新聞記事]
[グラフ群馬の取材と記事]
2013年06月20日
FDR史 第5章 U.M.C.イベント展開
ロックフェス開催で手応えを得たU.M.C.、翌年の冬には、観光客の少ない冬季に音楽を通じて村を盛り上げようと、鍾乳洞という幻想的な空間をコンサートホールにしたアンプラグドのイベント「不二洞幻想音楽祭」を開催、 U.M.C.アーティ ストのほか、民族音楽など、アンプラグドのアーティストが出演、予約定員制のチケットは完売するなど大盛況であり、不二洞入場者数増加につながった。
[不二洞幻想音楽会2010]
[新聞各社の記事]
その翌年まで「Fuji-Do Rock Fes.」「不二洞幻想音楽会」は定期イベントとして開催され、U.M.C.は、観光立村を担う立場として飛躍していくかと思われた。
[Fuji-Do Rock Festival 2010]
[新聞記事]
[不二洞幻想音楽会2011]
[新聞記事]
[不二洞幻想音楽会2010]
[新聞各社の記事]
その翌年まで「Fuji-Do Rock Fes.」「不二洞幻想音楽会」は定期イベントとして開催され、U.M.C.は、観光立村を担う立場として飛躍していくかと思われた。
[Fuji-Do Rock Festival 2010]
[新聞記事]
[不二洞幻想音楽会2011]
[新聞記事]
2013年06月20日
FDR史 第6章 U.M.C.解散の危機
「出る杭は打たれる」ということわざがある。
飛躍するU.M.C.を非難する一部の者の圧力により、サークルメンバーがリフォームしたスタジオから立ち退きを迫られ、資機材を抱えたサークルメンバーは、行き先を失って路頭に迷い、U.M.C.解散の危機となった。
スタジオは「Fuji-Do Rock Festival」の会場にもなっていたため、ロックフェス開催は絶望となった。
[旧スタジオ」
[肩を落として悩むUMCメンバー]
飛躍するU.M.C.を非難する一部の者の圧力により、サークルメンバーがリフォームしたスタジオから立ち退きを迫られ、資機材を抱えたサークルメンバーは、行き先を失って路頭に迷い、U.M.C.解散の危機となった。
スタジオは「Fuji-Do Rock Festival」の会場にもなっていたため、ロックフェス開催は絶望となった。
[旧スタジオ」
[肩を落として悩むUMCメンバー]
2013年06月20日
FDR史 第7章 U.M.C.再始動
音楽を愛するサークルメンバーであり、また、サークル活動を支援してくれる方々も多く、旧スタジオを追い出された後、上野村勝山地区の空き施設を借り受けることとなり、二代目「U.M.C.スタジオ」として再開、路頭に迷うU.M.C.は解散の危機を脱した。
[新U.M.C.スタジオ]
[新U.M.C.スタジオ]
2013年06月20日
FDR史 第8章 野外フェス「Fuji-Do Rock」
U.M.C.の再始動後、絶望と思われた「Fuji-Do Rock Festival」開催に向けた活動に着手した。
[新スタジオで会議中のU.M.C.メンバー]
すべての「いきもの」に向けた野外ライヴ開催という「不二洞ロック」の原点に戻り、野外フェス開催可能な場所を模索していたところ、野栗キャンプ場(龍神の滝キャンプ場)が候補にあがり、地域住民の理解により、2011年から野栗キャンプ場での開催が決定する。
[野栗キャンプ場]
フェス計画中の3月11日、日本周辺における観測史上最大の震災「東日本大震災」が発生、親戚や友人の安否確認や復興支援ボランティアなどにより、UMCメンバーも活動を休止せざるを得ない状態となり、フェス開催も危ぶまれた。
結成から幾度も障害となる壁を乗り越えてきたU.M.C.。
フェス開催を熱望する支援者も多く、「震災被害に遭われた東北地方の復興を支援しよう」と立ち上がり、チャリティーイベントとした野外ロックフェス「Fuji-Do Rock Festival 2011」を開催。
緑の山々、清流のせせらぎなど大自然を満喫し、自然と会場が一体となった野外フェスティバルは大成功と遂げた。
[Fuji-Do Rock Fes.2011]
この成功を期に、恒例イベントとして「Fuji-Do Rock Festival」は野栗キャンプ場で毎年開催されることとなる。
[Fuji-Do Rock Fes.2012]
そして、
また、
暑い夏がやってくる。
[新スタジオで会議中のU.M.C.メンバー]
すべての「いきもの」に向けた野外ライヴ開催という「不二洞ロック」の原点に戻り、野外フェス開催可能な場所を模索していたところ、野栗キャンプ場(龍神の滝キャンプ場)が候補にあがり、地域住民の理解により、2011年から野栗キャンプ場での開催が決定する。
[野栗キャンプ場]
フェス計画中の3月11日、日本周辺における観測史上最大の震災「東日本大震災」が発生、親戚や友人の安否確認や復興支援ボランティアなどにより、UMCメンバーも活動を休止せざるを得ない状態となり、フェス開催も危ぶまれた。
結成から幾度も障害となる壁を乗り越えてきたU.M.C.。
フェス開催を熱望する支援者も多く、「震災被害に遭われた東北地方の復興を支援しよう」と立ち上がり、チャリティーイベントとした野外ロックフェス「Fuji-Do Rock Festival 2011」を開催。
緑の山々、清流のせせらぎなど大自然を満喫し、自然と会場が一体となった野外フェスティバルは大成功と遂げた。
[Fuji-Do Rock Fes.2011]
この成功を期に、恒例イベントとして「Fuji-Do Rock Festival」は野栗キャンプ場で毎年開催されることとなる。
[Fuji-Do Rock Fes.2012]
そして、
また、
暑い夏がやってくる。